言葉の温かさ、心の温かさ
ある朝私は小学校低学年くらいの女の子がスーツ姿のお父さんと手をつないで登校する姿を車から見ました。とても穏やかな表情で楽しそうに歩く親子の姿がとても微笑ましく、感動さえ覚えました。お父さんに向かって一生懸命話しかけ、お父さんもそれにこたえるように笑顔で接する様子はまるで映画の1シーンのようでした。
その数日前、私は摂津市で起こった幼児虐待の事件について様々な記事を読んでいました。
3歳の子どもが母親の交際相手の男に熱湯をかけられ死亡するというあの事件です。日常的な虐待も行われていたようです。その事件の記事を読む中で私が一番驚いたのは、どの記事も、市や児相の対応の甘さを批判するばかりであったことです。確かに対応のまずさもあったかもしれません。しかしその前にもっともっと考えねばならないことがあるのではないかと思います。
3歳の子どもに熱湯をかけ、笑っていられる、更にそれを動画に撮っている。取り調べで「いつもそういう遊びをしていて故意ではない」などと供述している、とある記事に書いてあるのを見て、私は到底理解できないし、しようとも思いませんでした。
このような人間になぜなってしまったのか、なぜこのような人間に育ててしまったのか、人間の心を持っているとは思えない、まるで「モンスター」が社会に存在するようになってしまったのか、そこに現在の教育における問題点、子育ての問題点があるのではないか、そういった点について報道がなされないことが気になって仕方ありません。
犯人の男は24歳、当然私の教え子にも同年代の子がいます。もう結婚して子供がいる子もいます。たまに顔を見せてくれますが、仕事に子育てに一生懸命です。
今の小中学生もいずれ大人になり家庭を持つようになるでしょう。
今の小中学校の状態を見ていて心配になることがあります。インターネットの記事で見かけた、昨今の小中学校の状態の恐ろしさ…
個性を大事に、はっきりと発言できる子にと教育をしてきた結果、自分のやりたいことしかしない、いやなことは駄々をこねたり、屁理屈を言って逃げる。大人である教師に対して暴言を吐く、それを学校は「この子には何かストレスになるものがあるから見守っていかなければならない、受け止めてあげなければならない…」と容認してしまう。
個性とは好きなことだけをするということではありません。我慢したり、苦しいことも乗り越えたりして初めて伸ばすことが出来るものです。
はっきり発言できるということは、その発言に責任を持たねばならないのです。
子どもは未熟です。だからいっぱい失敗もします。不用意な発言もあります。しかし、その時に大人が真剣に話をして叱ってやることが必要です。しかし叱ってばかりでは子どもの心が疲弊します。善い行いをしたり、友だちやほかの人に親切な言葉をかけたり、思いやりのある行いが出来た時は心の底から褒めてあげる、尊敬の気持ちを伝えてあげることが子どもの心を豊かにすると思います。
私がいつも言う「あかんもんはあかん、ええもんはええ」です。
教育論を語れば長くなりますが、実は単純なこと「温かい言葉と温かい心があれば自然と子どもは優しく温かくなる」温かい言葉というのは何もいいことだけを言うのではありません。厳しい言葉も心があればきちんと温かく伝わります。言葉をかけるときにでもそっと手を触れるなど人の温かみを感じるように接してあげることが子どもの心を温かくするのです。そうやって接していると大人の心も温かくなります。大人から子供への一方通行ではなく、子どもと大人の双方が成長していくことで社会も優しくなるのではないでしょうか。
小学校では小学校の、中学校では中学校の、高校では高校の、その時その時に確実に教えておかねばならないことがあると思います。
海外の教育をそのまま真似て日本で上手くいくわけがないのです。良いところは吸収すべきです。しかし、日本には日本に合った昔ながらの教育方法もあり、それは大変すばらしいのです。
私は子どもに我慢やしんどいことをさせるように指導しています。挫折しない心、しなやかな強い心を持ってもらいたいと考えています。強い心には優しい心が生まれます。しかし、今子どもたちが通う学校が苦しい場所になっています。
些細なことで学校にクレームを入れたり、子どもの話や噂だけで真実を見ようとしなかったり…学校現場は厳しい状況だと言われています。保護者からのクレームや要求に教員たちが委縮してしまい本来できるはずの教育ができない状況があるそうです。そんな場所で子どもたちが健やかに成長するでしょうか。
経済は今を造るが、教育は未来を造るのです。その未来を素晴らしいものにするために今一度教育を見直すべきだと思います。
学校現場の先生、保護者の方々、私たちのような私教育に携わる者など、子どもに関わる全ての大人が子どもたちが健やかに育つ場を造ろうと努力してみませんか?
私はあの朝、あの親子に教えられました。
笑顔も教育、手をつなぐのも教育、そして我慢も教育…
あの事件の犯人の男が、もし子どものころ、温かい気持ちで接してもらったり、ダメな時に真剣に叱ってくれる大人に出会っていたら今回のような事件は起こらなかったのではないかと思うのです。
愛するとは自分の幸せを相手の幸せに重ねること
心配するより信頼する。気にするよりも大丈夫だと信じる