「個」を活かす
本校の移転や夏期講習会の準備などで「ボスのつぶやき」を少しお休みする形になっていました。
私には以前より少し気になる女の子がいます。その子はバンド活動をしています。3,4年前にはCDを出すとか、プロダクションの人と会うとか浮かれた話ばかりしていました。私は正直彼女のことを認めていない部分がありました。まぁ、2,3年もたずに辞めてしまうだろう・・・・と思っていました。
しかし、今も彼女はアルバイトを複数掛け持ちし、毎日模索しながらバンド活動を続けています。その彼女があるお店のプロモーションビデオの曲を作りました。プロモーションビデオにも出演しています。その曲の彼女の声、ビデオに出ている彼女の笑顔がとても良く、飾らない彼女らしさが出ていて私はそれが大好きです。
彼女とよく話をする機会があります。ある時、私は彼女に、「万人に受ける、流行るからといってそれに乗っからないほうがいい。あなたが本当に楽しそうに歌う姿と、だれにも負けない強い意志が人を感動させる」と言いました。彼女はそれを聞いて深くうなずいてくれていました。自分を信じて進んでいこうと思ったのかもしれません。
私の知り合いの娘さんも音楽活動をしています。彼女の方は中学時代からダンスや歌を習って、高校、大学と進学し親御さんのサポートの元、着実にステップアップしています。いろいろな企業のCMや番組の楽曲を歌ったりしています。もちろんプロダクションもついておりダンスも相当な実力だそうです。高校生の頃にはテレビ出演もしています。彼女は中学からいろいろなレッスンに足を運び忙しく過ごしていました。友人たちが遊びに行っている間も、家でゆっくり過ごしているときも練習に励んできました。その成果が今の彼女をつくっているのでしょう。
この2人の女の子はいわゆる、「雑草」と「エリート」です。こういう風に表現するのは彼女たちに失礼かもしれませんが、どちらの子も自分の道を懸命に進んでいるのは同じです。人に感動を与え、自分も楽しむ。音楽という1つの才能を持ち、それを磨き輝かせる。そんな2人の将来が私は楽しみです。
現代は「個」が重要視されています。私は「昭和の遺物」と言われるくらい頭の堅い人間です。ですから「全体」「組織」の中では「個」を犠牲にするのが当然と思っていました、今も思っている節があります。
しかし、私は「個」を大切にするという考え方を批判したいのではありません。「個」を大切にすることで「全体」が良くなるという経験も今までにしてきました。ただ、「個」が「自分勝手」になったりする場面を見ることもあります。集団の場面で一人一人が自分勝手な発言、行動をするとまとまりがつきません。「個」と「集団」のバランスこそが大切だと思っています。
今の学校現場はその「個と集団のバランス」が取りづらくなっているように思います。「個」と「集団」のどちらを尊重するか?学校の先生にも様々な考え方の人がおられます。それが学校教育のバランスを崩しているようにも思えます。
大人たちの間違った「個」の尊重の仕方によって「わがまま」「気まま」な子を増やしてしまっています。わが子さえ良ければいいという考え方で学校へクレームを入れる保護者もいるようです。学校には学校の規律があり、それは各家庭の考え方とは違っているかもしれません。そこは「集団」を尊重すべきです。小さな頃には「順番を守りなさい」「人が話しているときは聞きなさい」と教えられてきた子たちの中でいつの頃からか、やりたいことだけをしたり、人の話を聞かない、そんな子になってしまう子も出てきてしまうのです。
私は「我慢」を教えることも教育の1つだと思います。
「我慢」はもとは仏教用語の1つで「自分を高く見て他を軽視する思い上がりの気持ち」という意味だそうです。そういう気持ちを抑えることから、今の意味になったのでしょうか。日本語は興味深いですね。 余談です。
今回の話に出てきた2人の女の子はまさしく「個」を主張しています。しかし彼女たちは「やりたくないこと」を「やらないといけない」場面が今までも、これからもあります。それをするからこそ「集団」に認められ、自分の届けたいものを届け、みんなを笑顔にできるのです。
私たちも一人一人をていねいに見守り、教え、「個性」を伸ばしつつ、集団の中でのルールや規律、我慢も教え、子どもたちには「仲間」というかけがえのないものを手にしてほしいと思います。
まさに今、受験生は「我慢」の真っ最中です。長時間の夏期講習に耐えています。でも「仲間」と一緒だから頑張れています。そんな子どもたちを見守りながら私たちは夏を過ごしています。